私の学生時代の吃音体験談
東京言友会会員からの寄稿をご紹介致します。
私の学生時代の吃音体験談 PART1
私が吃り始めたのは、小学2年生の頃でした。当時は相当な難発で話すことが身体的に大変苦しかったことを覚えています。何かを話そうと思っても言葉がなかなか出てこなくて、話し終わるまでに大変な時間がかかりました。しかし、そのような状態にもかかわらず、両親も担任もほとんど心配することはなかったようです。私が周囲の人間からおとなしい優等生的な手のかからない子供だと思われていたこともあって、両親の私の吃音に対する態度は一貫してそのようなものでした。私自身は自分の話し方が変だということはわかっていましたが、まだ幼かったので自分が吃りなんだという自覚はありませんでしたし、私の話し方を周りの人間が笑うということもありませんでした。
小学校高学年くらいになるとひどい難発は自然と治っていき、日常会話においてそんなに気にならない状態になりました。しかし、その頃には子供心にも自我が芽生えてきていて、本読み等の時間に、私が吃るので皆から笑われるようになりました。いつも自分の順番をひたすらドキドキしながら待って、私が読み出すと、途端に笑われるということを繰り返していました。先生は私が吃っても何も言わずに、最後まで読ませました。ともかく、本読みの時間は私にとって最大の恐怖であり、苦痛でした。読み終わると平然と何もなかったような顔をして座っていても、子供心にいつも傷ついていました。また、一人ずつ発表することも苦手でした。それでも、発表は間を取ったりできるので本読みよりは楽でした。何とかして吃らずに普通に話したいと思い、両親に相談しても『気にすることはない』と片付けられて、子供の私にはどうしようもできませんでした。でも、吃音が原因でいじめられたりするという事はなく、性格的に暗くなったりすることはありませんでした。もちろん人前に出ることは、苦手で好きではありませんでした。
中学生になっても本読みのときは相変わらず吃って笑われて、いつも嫌な思いをしていました。その頃には、自分から電話をするようになりました。部活の連絡網を回すために、時々同級生の家に電話をしました。電話には話したい相手の母親が出るので、相手を呼び出してもらうために相手の名前を言うのですが、その名前が私には言いにくくて吃ってしまいました。その同級生は近所に住んでいて、お互いの親も知っているので余計に憂鬱になりました。そして、私はいつも自己嫌悪に陥っていました。電話を受けるときは、簡単な受け答えをすればいいだけなので気楽でした。しかし,かける時はまず自分が名乗って、電話に出た相手が本人じゃない場合は呼び出してもらい、それから用件を言わなければいけないのです。なかなか最初の第一声が出ないし、相手は声だけに集中するので、吃って変に思われたら困ると思いつつも吃るのです。私にとって電話をかけることも大変な恐怖でした。また部活の練習に遅れたときは先輩に『遅れてすみません』といわなければいけないのですが、私はその言葉が言えなくて『遅くなってすみません』と言える言葉に置き換えていました。このように言えない言葉は、言える言葉に置き換えて話していました。それでも言えない言葉のときは、少し間を取ったりして言えるまで待つということをしていました。それは現在でも同じです。英語の授業で訳をするときは、間を取ることができたので吃ることはありませんでした。
高校生になると本読みや皆の前で発表をするということはほとんどなくなって、吃音のことはまったくといっていいほど意識しなくなりました。電話も特に苦にならずに平穏な時間が過ごせたような気がします。まるで吃音のことを忘れてしまったかのようでした。
しかし、大学に入学してからまた振り出しに戻りました。入学式の後の自己紹介で出身高校名が言えず、このままではいけないと強く思いました。せっかく新しい環境に変わったのにここでまた吃ったら私はもう終わりだと切羽詰った気持ちになりました。大げさに思えるかもしれませんが、吃音は私の悩みや苦しみのすべてと言っても過言ではない存在でした。それはこれまでも私が吃るたびに笑われたり、変な顔をされたという事実からも明らかでした。だから、入学早々に一人ずつ発表があることを知って大変焦りました。発表が回ってくるまでに絶対に何とかしなければと思い、親と相談して近所にある医者に行く事にしました。そこに通って、吃音に関する簡単な基礎知識を学んだり、実際に発表の練習をしたりしました。そのかいあって、当日は何とか上手く発表できました。それは今までの私には決してできなかったことですから、本当に安堵したことを覚えています。それ以来、発表に関しては少し自信をつけ、何とかこなせました。電話をするのは相変わらず苦手でしたが、必要最小限の範囲で恐る恐るしていました。サークルにもすぐに入りたかったのですが、1年生の頃は勇気がなくて入れませんでした。それは自己紹介をしたり、電話をしたりすることが怖かったからです。それでも友人といっしょに2年生のときにようやく入れました。アルバイトは、言葉のことにびくびくしながらもしていました。振り返ってみると、生活全般に吃音のことが常に影を落とし、どうしても物事に消極的なってしまいました。大学生になったらやりたいことはたくさんあったのですが、そのうちの何分の一しかできませんでした。私には、みんなにとって当たり前の話すということができないのです。だから、この先どうやって生きていけばいいかを不安に思い、将来に悲観的にならざるを得ませんでした。そうして、自分から殻に閉じこもっていたように思えます。したいことがあっても、吃音のせいにして逃げてばかりでした。でも、当時の自分はそういう生き方しかできませんでした。
現在働いていますが、言葉に関しては実際にそれほど困っていません。さまざまな経験を重ねてきた今、吃音のことは自分なりに受け止めていますし、それだけにとらわれるということはありません。むしろ自分の一部だと持っています。もちろん、今でも治したいという気持ちは変わっていませんが、それが大変難しいことを知っています。言葉が自分を表現する最大の手段である以上、逃げているだけでは何も解決できません。子供の頃から現在を通して改めて思うことは、慣れが大事だということです。
最後に、両親の私の吃音への態度について詳しく述べたいと思います。両親は、私の吃音を『気にすることはない、吃っていない』と言って、気にしていませんでした。ですから、私から両親に吃音のことを話すことは、ほとんどありませんでした。また同様に、両親の方から私の吃音に触れることもありませんでした。ともかく親に話しても仕方ないと思えたし、自分の中において吃音は触れられたくない、そっとしておきたい部分でした。何より吃音者である自分にすら自分の吃音が理解できないのに、いくら親だからといって理解できるものじゃないという実感もありました。自分でもなぜ吃るかわからないのです。私は普段はほとんど吃らないような感じでしたが、母親と二人だけで話すときは、なぜだかわかりませんが大変な難発になりました。母親は、何も言わずに私のなかなか進まない話を最後まで聞いてくれました。何とか話し終わると、言いたい事は言えるけど本当に疲れました。私は両親が子供の頃に何もしてくれなかったことをずっと腹立たしく思っていました。東京に住んでいた人の中には、『ことばの教室』に通ったり、矯正所に連れていってもらった人がいます。私も親が連れていってくれたら、子供の頃に治ったかもしれないと思いました。しかし、今になってみれば、両親がどのような態度をとってくれたらよかったのか正直言ってわかりません。私の両親は、私の吃音に無関心過ぎました。でも、逆にそれがすくいだったような気がしないでもありません。ただ、親として子供のために何かをしてくれた事実がほしかったと思います。
私の学生時代の吃音体験談 PART2
私がどもりを自覚したのは小学生のときでした。それは国語の授業のとき言葉が詰まってうまく朗読できなかったからです。小学3年生のころ、友達数人とおしゃべりをしていて、あるテレビ番組の話題になった。どういう内容かは忘れましたが、私はそのことで話したいことがあり、友達数人の前で話をしました。私の言葉は連発になり、まわりの友達に笑われました。私はかなりショックでした。それはこのとき全然緊張していなかったし、言葉が詰まるなんて思ってもみなかったからです。このような経験が小学3年生ぐらいからだんだん多くなりました。その結果、どもると笑われる、恥ずかしいという経験が私の心に強く影響を及ぼしたのです。
自慢ではありませんが、私は今でも言葉の表現力に乏しいし、また日本の歴史や文化をよく知りません。小学生時代に経験した「朗読や話をすると笑われる、恥ずかしい」という思いが、私を本読みから遠ざけたのです。そうして、本を読まなければいけないような、国語や歴史がだんだんと嫌いになっていきました。逆に、小学生はとにもかくにも外で元気よく遊んでさえいれば誉められます。また、このころ私自身も体を動かすことがとても好きだったので勉強よりもスポーツをがんばっていました。そういうわけで、小学生のころは、スポーツという言葉をしゃべらなくてもよい環境があったのでストレスもそれほど感じなかったように思います。言葉による苦痛はスポーツという逃げ道によってうまく和らげることができたと思います。
ところが、中学校に入学して私の環境が一変しました。今までスポーツや遊びばかりしていても叱られることがなかったのに中学生になると勉強もせずに遊んでばかりいると、叱られるようになりました。仕方なく、勉強をするのですが、たとえば国語の教科書を開いて読んでみても知らない漢字や知らない言葉がたくさん出現してきます。結局、教科書に書いてある内容が把握できません。私の本読み嫌いはますます悪化するようになり、特に国語と日本史の授業の時間は苦痛でたまりませんでした。
ところで、中学生になるといろんなことに意識するようになります。友達に良く思われたい、特に異性に対して良く思われたいと思うようになります。すると、服装にも気を使い、髪型にも気を使うようになってきます。そうなると、どもりで人に笑われたくない、変な人と思われたくないと考えるようになりますから、友達に良く思われるには、私がどもっていることを隠さなければいけないと思うようになってきます。友達に私がどもっているだなんて絶対に知られたくないと思うようになってきました。だから、中学生のころは、いかにしてごまかしながら話をするかを考えるようになりました。でも、本当にボキャブラリーに乏しかったので、どもりとは関係なく、話をしていても相手に自分の話を理解してもらえなかったことがたくさんあり、本当に自分が情けない人間なんだとつくづく思いました。どもりのため自分が情けないと思い、自分の言ってることが相手に伝わらないと、また自分が情けないと思い、学校の成績表を見るたびに、また自分が情けないと思い、いつも人の影に隠れている自分を見て、また自分が情けないと思い、こんな私は本当に劣等生で何のとりえもない人間なんだと思いました。
何のとりえもない私ですが、これでは本当に自分が惨めなので、どもりだけは何とかしたいと思うようになり、確か中学3年生頃、私は吃音の矯正所に自分の意思で行くことにしました。矯正所に通って1ヶ月ほどで今まで朗読が上手くできなかったのが、つっかえることなく、すらすら朗読できるようになったのです。このときのことは今でも忘れられません。朗読に関してかなり自信がつくようになりました。この矯正所で私が受けた経験が、「どうしてどもるのか?」「どもりとは何なのか?」という答えを私に与えてくれたように思います。
中学3年生になりますと、さすがに高校受験がありますから、勉強が嫌いでも何とかがんばらなくてはと思うようになります。吃音矯正所に行ったことで、自分に対して少し自信がつき、成績はあまり良くありませんでしたが、高校には無事、入ることができました。
ところで、この矯正所には高校1年生頃まで通っていました。朗読に関しては自信がつくようになりましたが、どうしても会話に応用できませんでした。どもることなく人と話をしているという良い状態がしばらく続いていると、「練習をしなくても大丈夫かも」という気の緩みで、また人と話をしているときにどもりだしたり、練習をしているのに良い状態にならなかったりと、なかなか良い状態を保ち続けるのは難しいのです。ここの矯正所で本当に劇的に私のどもりが改善しましたが、会話でもどもらずに話をするということに対しては行き詰まりました。とにもかくにも、私が通ってた矯正所での経験が吃音に対する私なりの答えになっていきました。
現在、私は大学生です。私は今でも自分が劣等生なんだという気持ちは中学生のときといっしょで変わっていません。だから、私は変なプライドを捨てることができるし、人に追いつくためにはもっともっと努力をしなければいけないのだと思っています。勉強は嫌いですが、昔勉強しなかった分を今、取り戻しているんだと思っています。そう思えることが逆に吃音で良かったのかもしれません。
ところで、先ほどもお話しましたが、私は中学生の頃に吃音矯正所に通っていました。そのときの経験が私なりの吃音に対する考えの土台となっています。そのため、私は親と吃音に対しての考えが対立していました。中学生の時からつい最近まで、親に私なりの吃音に対する考えを理解してもらえませんでした。いくら吃音のことを親に話しても精神論で片付けられてしまいます。私の母親が若い頃、極度の赤面症で人前で話ができなかったそうです。そのため、母親は高校を卒業して人前で話をする職につきました。人前で話をすることによって度胸をつけ、克服したそうです。そういう母親の経験上、どうしても口癖が「度胸をつけなさい」でした。「人前で恥を掻いてもいいから度胸をつけなさい」、と言います。だけど、吃音者は人前で恥を掻きながら話をしても、吃音自体はそんな簡単に治りません。確かに、度胸はつくかもしれませんが、吃音が治ることとは別です。また、ややもすると、逆に吃音で恥を掻き度胸をつけるどころか自信をなくしてしまいます。特に、中学生、高校生は人が自分をどう見ているのかとても気になる年頃です。吃音者でなくても人前で話をするのはとても勇気のいることです。
私は中学生、高校生、大学生を通してどうしても自分自身、吃音に対して寛容になれませんでした。(今は多少寛容になれましたが)だから、人前でどもりながら話すことがどうしてもはばかれたし、私の心の中には、いつかは吃音を治してやりたい。そのために、大勢の前で恥を掻いてよけい傷口を広げたくないという思いもありました。この思いは、たぶん吃音矯正所に通ったときの、朗読がすらすらできた、このときの自信が、いつかは吃音を治したいという気持ちに向けさせたんだと思います。そんなわけで、母親とは吃音の話をすると口論になることもありました。私が「大勢の前で話すと、どもることがわかってるから話したくないし、嫌だよ。恥ずかしい」と言うと、母親は「どもりぐらいで、何言ってるのよ」と言います。そんなこと言われても、当時の自分がそんなことをしたらよけいどもって、立ち直れなくなるかもしれません。そんな失敗を何よりも恐れていました。また、私のどもり方は難発性なので、言葉がなかなかでないときがあります。そういう場合、やっぱりどもらずに話したほうがスムーズに楽に話せます。ですから、どもらずに話せるなら、どもらないで話をしたいと思うのは自然な考え方だと思います。
この言友会に入って私の考えは少しずつ変わってきました。吃音に対して少し寛容になれたと思います。少々どもっても最近はあまり気にしなくなってきました。吃音でもみんな一生懸命に生きているからだと思います。そういう姿を見て、私も自分が少々どもっても、「まぁいいか」という気持ちになれるようになってきました。