第3回つどい/お料理教室(1999年3月)
去る、3月14日(日)、亀戸青少年センター(江東区)にて、久しぶり(4年ぶり)に、「中高校生吃音のつどい」が開催されました(両親のつどいと同時開催)。今までの障館(東京都障害者福祉会館)でのつどいから少し趣向を変え、今回はカタい雰囲気から、和やかな雰囲気で思うぞんぶん話してもらおうと、「お料理教室」(お好み焼き作り)と、そのあとのディスカッションのプログラム。グループに分かれ、わいわいとお好み焼きを作り、食べながら、吃る場面の話や学校のこと、趣味についてなどの話に花が咲きました。
第3回目の今回は、中高生とスタッフで料理を作って、食べながら語り合う会を企画しました。参加者は8人で、篠塚さんと小西朋子さんの新スタッフにもお手伝いいただきました。まず、中高生同士で打ち解けてもらうようにと簡単なゲームと自己紹介を行いました。声を出さずに相手に自分の名前を伝えるゲームですが、皆さんいかがだったでしょうか。相手に自分の存在に気づいてもらい、相手の顔を見て口形で名前を伝える、あるいは手のひらに文字で書き示すという普段使わない手段でのコミュニケーションに戸惑いを感じられたかもしれません。音声言語とは別の手段でもコミュニケーションは成り立つという事に気づいていただければ、光栄です。賛否両論あると思いますが、一つの事に拘わらずより広い視野を持つ事も時には必要のように感じます。自己紹介では、吃っても最後まで話し、立派に紹介することができました。
3~4人ずつの3グループに分かれ、お好み焼き作りをしました。キャベツのきざみ方や具ののせ方や作り方は様々でしたが、各グループ協力しながら作っていきました。
話し合いは各グループで進められていきました。インターネットで今回のつどいを知って参加された方もいました。同じ悩みを持つ仲間に出会えた事はどんなにか、ほっとされた事でしょう。悩みを話し合って共感し合えたこともよかったと思います。先輩の話を聞いて少しは見通しが持てたと思われた方もいました。また、一方では仲間と十分に話し合えずにお好み焼きを食べて終わったという方もいるかもしれません。
今回のつどいの成果は各自異なると思いますが、一歩前進したことは確かです。この一歩を次回のつどいにつなげてくださる事をスタッフ一同は強く望んでいます。
K君(高校2年生)
3月14日の中高生の集いは小学生から大学生の方まで多くの人が集まって本当に楽しくて良い集いになったと思います。僕も同じ高校生の友達ができたし、それにその他にも多くの人達と話し合うことができて良かったなと思っています。料理も楽しかった。料理を一緒に作ったということで、お互いに緊張も解けてリラックスして作ることができたので本当に良かったと思いました。今度はメニューを変えてまたやってみたい。
吃音のことについては、どのように付き合っていけば良いのか自分なりに考えている最中です。吃音には体調や精神的なことも関わってくるので波があると思います。でもやはり、吃音を恐れずに前向きに考えて、そして自分なりに努力することが必要だと思います。言友会や中高校生の集いは自分がどのように努力したら良いのか、という自分なりの方法を考える場として、また同じ悩みを抱えている仲間を作る場としてとても重要だと思います。同じ立場にいる仲間がいるということはとても心強いものですよね。
篠塚 喜美恵「中高校生の吃音の集いに参加してみて」
私にとって「中高校生の吃音の集い」はこれが初めての参加。しかも、スタッフとして。正直、何がどうなるのかわけもわからず、当日になってしまいました。前日から体調もあんまり良くなくて重たい気持ちになっていました。まず、私にとっては初めての経験なのでいろいろと反省してしまう点が多くありました。自分はスタッフという立場なのだから、もう少しどういう子が来るのか調べておく。そして覚えられないのならメモしておく。それくらいなら短時間でできたことなのにと思いました。それが、一番の反省です。
一緒にお好み焼きを作ったFさん。途中で用事があるとのことで帰ってしまいました。その後、児嶋先生が「あの子がキンキ(キンキキッズ)のファンだって前に話した人よ」と、私に一言。そのときに「しまった!」って思いました。私はFさんのことを児嶋先生から前に話を聞いていた。聞いていただけですっかり忘れていた。言い訳のしようもない。もし、私がメモを取っていたら、そのことをちゃんと覚えていたら、彼女の緊張を少しはほぐしてあげられたと思う。私自身がキンキを好きだし。スタッフのつもりで自分は参加していたけど、そこら辺の気配りも次回の課題になるし、次にまた会える機会があったら気をつけたいと思った。勉強不足の自分に反省。
次に一番話したのがYさんだった。一応、彼女とは金曜日の講習会で1度、顔を合わせていた。そのときは一言も話しはしなかった。いきなり彼女の「あー知ってる。会ったことあるよ。知ってる。知ってる」にはちょっとびっくりした。1度、顔を合わせているせいかすぐに打ち解けられたと思う。私も彼女も『どもり』に対しててやることは実に似ていて話しをしても笑いが止まらなかった。図書館で『どもり』に関する本を見つけてもなかなか借りる勇気もない。借りるときでも全然違う本を間にはさんで隠しながら借りたり…バカげたことなんだけど。今日、会うまで話しをしたこともない人間が同じコトしていたんだと思うとおかしくておかしくて。最後の話し合いでは、私と松村先生(ことばのきこえの教室の先生)とYさんの3人で『どもり』のことなどを話した。Yさんも私も「ことばときこえの教室」に通った経験はまったくないので、実際どういった感じの小学生が通っているのかなども少し聞いたりした。また、女の人の吃音者って男の人と比べると少ないのに、私達って運悪いねって話をしたり。いろんなことを話している中でYさんが「どもりを持っていることで1つだって良いことはない。嫌な思いばっかりしている」という様なことを言った。確かに、どもらずに話せるなら、どもんないで話す方が良いにきまってるし、苦しい思いをしないで済むし、屈辱的なことを言われないで済むわけだし、彼女の言っていることは理解できる。でも、Yさんは「10あるとして、どもりで得したことは1かな? いや、それ以下。あとの9以上は辛い思いばっかりだよ」って。そのときに松村先生が「その1が案外大切なことだったりするんじゃやないのかな?」って、私とYさんに教えてくれた。私はその言葉に「そうかもしんないな」って純粋に思えた。最後に私はYさんにこう言った「Yさんの周りの友達って良い子ばっかりでしょ。意地悪な子なんていないでしょ。それは、Yさんの性格が良いからだよ。だから、良い友達がよってくるんだよ。もし吃音で悩むことがなかったら、人の痛みをわかってあげられない性格だったかもよ。そしたら、今の友達とめぐり合えなかったかもよ? そう考えれば吃音も悪いことばっかじゃないよ。ちょっと得したかもよ」。そしたら彼女は「今日、そのことに初めて気がついた」と、すごく明るい顔をしてくれたので私としてはすごく嬉しかった。しかし、吃音がすべてで彼女の性格が良いわけじゃないと思うし、たとえ、彼女がどもりじゃなくても彼女は意地悪じゃなかったと思うし、吃音がきっかけでいろんな事が見えてきているだけなんだと思う。
最初の自己紹介で小学生のHさんがすごく印象に残っている。すごくしっかりしているっていうのが最初の第一印象。小学生でどもりのことをこんなに真剣に悩んでいるんだと思うと、ちょっと切なくなる。私が小学生の頃といえば、純粋にいつか治るものだと信じていた。その証拠に、小学校の卒業文集に「私は将来、声優になりたいです。そのためには声のどもりを治さなくてはいけません。だから家では妹の読んでいる『11びきの猫』などを、声を出して読んでいます。このごろはそれがなくなってきたのでなれる可能性があるのでがんばりたいです」と、生涯残るような卒業文集に、よくもまあ自分がどもるなんて書けたもんだと思う。そんな自分と真剣に悩むHさん。ほとんど話すきっかけがなかったけどいろいろ話しを聞きたかった。聞きたいことは聞きたいと思うけど、彼女達の辛さがわかるぶん、私自身が疲れてしまう。
これからも良い中高校生の集いができるように頑張っていきたいと思います。