第26回つどい/11月のつどい(2004年11月)
11月14日(日) 千代田区立千代田小学校ことばの教室及び体育館をお借りして行ないました。児嶋和子さんはじめ小学校のありがたいご好意によるものです。午前中、体育館でミニ運動会もできました。小学生7人、中学生4人、高校生他11人、ご両親12人、スタッフ21人の計55人が参加。参加者の感想文の紹介です。
K.Sくん(小学2年)
きょう、さんかした人たちは ほとんどが きつおんしゃだと思い、みんなも おなじなやみを もっているということがよくわかりました。こんどは おもいっきりつっかかって話してみます。
→最後の一人一言感想で、自分の順番の時に言えなかったけれど、他の小学生達が話すのを聞いて、この事を言いたくなったそうです。開会の佐藤さんの挨拶「言いたい事は、どもりながらでいい。最後まで、思い切りつっかかって話してください。」との部分で「いいの?いいの?」とお母さんに聞いたそうです。次回3月のつどいも絶対に参加するそうです。 (スタッフ さいたま市立高砂小 三村美延)
S.K さん(小学4年) 「言友会に行って」
私は、ことばの教室に行っているけど、吃音の子は誰もいないので、吃音の子を見て、ちょっとホッとしました。仲間がいると、どもっても大丈夫だから堂々と話せます。それにこれで4回目だけど、いつも初めは緊張するけど10分、いや5分位ですぐ緊張がほぐれます。また行きたいです。
I.K さん(小学4年 Sさんのお母さん)
つどいでは沢山の方々にお目にかかる事ができ、母子共に楽しい時を過ごす事ができました。スタッフの皆様をはじめとして、体験談をお話し下さった方々、話し合いを一緒に持って下さった方々、娘と遊んで下さった方々、皆様に学ばせて頂く事がとても多く、心より感謝しています。ありがとうございました。
ことばの教室では娘以外に吃音のお子さんがおらず、娘が友人や相談できる先輩と言友会で出会えればこれからの人生プラスになるのではとも考えて参加しています。4回の参加で私が願っていたそれらのものを考えて頂き、前向きに頑張っている娘の姿を見て、今は落ち着いた心境でいます。
これからも言友会の皆さんと同様に、吃音を悲観せず、オープンに吃音について語り合える様でいたいと考えています。治したい、軽くしたいという気持ちは今もあり、これからも持ち続けると思いますが治すことに固執せず吃音とうまくつき合っていきたいと思います。悲観しがちな私に「大丈夫!」と言って下さいね。そして私も皆に「大丈夫!」と声掛けて行きたいと思っています。
H.Nさん(中学2年 H君のお母さん)
初めてつどいに参加させて頂き、親子で少し不安はありましたが、スタッフの皆様やつどいの参加者の親御さん達の明るい笑顔に心が暖かくなり、勇気をいただきました。楽しいゲームに参加して体を動かし、笑顔の息子を見て久々に心から私も笑えました。先輩の方々が進行の説明をする時、言葉がつまり、私は正直ドキドキしましたが、ためらいなく明るく前向きに話をする青年達に本当に感動しました。きっと、息子も同じ気持ちだったと思います。昼食後、親御さん達との話し合いも大変勇気づけられました。悩み苦しんでいるのは私達だけではない、そう思ったとたんに涙があふれました。やさしく背中をなぜて下さった方、最後に息子が今日のつどいに参加して本当に良かった。次回も参加したい!!とスピーチした時、「良かったね!!」と声をかけて下さったお母様やスタッフの方々に、本当に感謝の気持ちで一杯です。
まだまだ、今現実に向き合わなければならない問題が沢山ありますが、子供と共に自分を見失うことなく、一歩、一歩前に進んでいきます。
菊地 利江さん(中学2年 Yさんのお母さん) 「積(せき)」
今回は「積」について書かせていただきます。以前、こんなことを感想文として出させていただきました。
『吃音に対する思いは色々ある。状態もまちまち、吃音への思いもバラバラ、環境も一人ひとり全く違う中、つながってゆく線は立派になってゆくことでしょう。』と。今回、参加してとても嬉しい発言に出会いました。
「僕だって、吃音は治りたいです。スラスラと話したいです。」
こんな本音を言ってくれた彼を実は、ギュッと抱きしめて、ホッペにチュッとしたかったけれど自制心が働きました。誰だってスラスラ話したいんです。治らないと(治るって何だ!)分かっていても言ってくれた彼。拍手です。私は娘と二人三脚で吃音と向き合ってきたつもりでいます。娘は一進一退です。
「しゃべらずにすむ仕事なんてないよね。私なんでも出来るんだ。」と言ってみたり、
「お母さん、どもりを治す薬はないの?」と言い出したり、
「私から吃音がない状態なんて考えられないよね。これが私なんだ。」と目を輝かせたり、
「今日学校で『たちつてと』が言えなくて困った。」などなど。
吃音に波があるように心にも波があります。大人になればそんなことから開放されると思っていました。でも、私から見ればとても立派で、しっかりした社会人をこなしているように見える彼から、そんな発言を聞けるなんて宝物の様です。「治すなんて邪道だ。」みたいな風潮ばかりではないのですね。彼がそう言ってくれた時、佐藤さんが私の後ろに張ってくれた『ウェンデルジョンソンの言語関係図』が、私の脳にピカッと灯りました。こんな風に。
もしかして『言友会』は線ではなく積ではないのか?全ての人が同じ考え方の集団ではない。たくさんの人々が試行錯誤を繰り返し「常に自分の位置はここ」と決まらずに悩んでいて切磋琢磨している。だから団結した時に懐が深いのでは?同じ個性が団結しても点や線でしかない。でももしかして、三次元の世界ではないか。たくさんの人が悩み、右往左往しながらつどいに参加し結合するので、器が広大になっていったのでは。
だから初参加の人が、温かさを感じて語れるのでしょう。「こんなことを聞いて笑われないかな。」とドキドキしながら参加する人もいるでしょう。「治りたい。」と言ったら「無理無理!」と一笑に付されるのではないかと思う人もいるでしょう。でも今回のように発言してくれる彼がいる。「治すなんて思うなよ。」と言う人がいる。「筆談はやめようよ。」とか「前向きに生きようぜ。」というオーラを感じさせてくれる人がいる。力強さがありながら同意を示してくれる人がいる。そんなことを感じました。
→吃音者心理をPendulum(振り子)と例えた米研究者も。揺れながら、考えながら大きくなる。心の中で折り合いをつけながら。その時その時が自分そのもの。振幅大の体験はこころを深く耕す?私も随分Swingしてきたなあ。(スタッフ佐藤)
保坂 美帆(高校2年)
話し合いは、吃音の事を中心とした将来の事やバイトとかの話などなど、他の人の話とか参考になったし、私も自分の思った事を沢山喋ることが出来たんで、充実できたと思ってます。ただ2時間という話し合いが短く感じました。吃音の事について話し合うと何時間あっても足りないと思うけど、吃音について話すことなんてあんまりないから、もっと色々話したかったです。なんかあっと言う間に1日が過ぎた感じでした。最初は行くかどうか迷ってたんですけど、結果的に参加してホント良かったです。同じ『吃音』という悩みを持った人達どうしが真剣にその事について話し合うことは、大切だと改めて思いました。話すだけでも気分がスッキリするし、他の人の話を聞いて得るものも沢山ある気がします。
しかも、このことは私が勝手に思ってることなんですが、今までこの中高校生のつどいや関西JSPの吃音サマキャンで知り合った人達の吃音(特に感じるのは友ダチ)が、初めて会った時より吃音が治ってはないけど軽くなってる気がします。多分それって、以前より吃音と少しずつ上手く向き合えているからと私は思ってます。私自身はあまり変わってないような気もするけど、このようなつどいには、そうゆう力?みたいのがあるのかなぁ??とも思いました。また行けたら参加したいです。ありがとうございました。
徳武 紀恵子(中学2年 洋輔君のお母さん)
1年ぶりに参加しました。今年は息子の洋輔も一緒です。中学2年になって身長も伸び、以前から知っている皆さんから「大きくなったね。」と声を掛けられ洋輔はうれしかったようですし、私はこれまでの年月を感じました。初めてつどいに洋輔を連れて行ってから6年が経ったということになります。
今回の集いでは関根君と西方さんの体験談をお聞きし、これだけでも来た甲斐があったと思いました。お二人とも自分なりの吃音人生を歩んでこられて、辛いこともあったと思うし、吃音さえなければ考えなかったことも考えながら生きてきたのだと思うのですが、なんと明るく楽しそうなんだろうと、私まで嬉しくなりました。
特に関根君は同じ男の子ということもあり、洋輔を重ねて見てしまいます。体験談後の質問で「大人になって吃音を笑われたらどうする?」と聞かれて「一緒に笑っちゃうと思う。」と関根君は答えました。その場の雰囲気で笑って「そうなんだ。オレ吃るんだよ。」と言うのもありだなあと思いました。私は親として体験談に求めるのは優等生的なテキストをなぞるような話ではありません。吃音者として大学生にまで成長してきて、洋輔よりずっとたくさんの経験をしてきた皆さんにはいろいろな場面でどんなことがあり、どんな対応をしたか、そして経験からなにかあった時自分なりにどう振舞うかを素直に話してほしいのです。そういう意味で関根君の答えはうなづけるものでした。「吃音は笑われるようなことじゃないんだ。笑うなんて失礼だ。どうしてもこういう話し方になるんだからしかたないだろう。」と正論をぶつけるのもありだとは思います。でも相手が何も知らずに吃音を笑った時、そんな態度に出たらもう何も話しかけてくれないのではないでしょうか?関根君の話を聞いて洋輔も安心したと思います。友達にはただ吃音があると受け止めてさえもらえればと思っているからです。これからは今まで以上にたくさんの考え方の違う人達と関わって生きていく洋輔にはその場、その場で判断して、時には怒り、時には共に笑って吃音と付き合っていくことが求められるのではと思います。素直な答えをくださった関根君に心からありがとうを言いたいと思います。
それから話しながら泣いてしまったお母さんがいらっしゃいました。わかります。言友会に来たら泣いていいと思います。泣かなきゃいられないことだってありますよね。先が見えない不安をみんなで分け合って、吃音の先輩達を参考にしながら子供を見守っていきましょうと言いたいです。洋輔が吃りはじめてもう10年以上になります。何回も泣きました。野田市で吃音児のお母さんのグループがあるのですが初めての方は泣いちゃいます。溜め込んで来るからですよね。吐き出して泣く場が集いということでいいのではないでしょうか。